レポート2021.04.18那覇市政100周年を祝う国際通りスペシャル!懐かしい8ミリ映像で今と昔を見比べる

4月18日(日)、那覇市の桜坂劇場ホールAで「沖縄ヒストリカルムービー デジタルで甦る8ミリの沖縄」が開催。シネマラボ突貫小僧の當間早志さんと沖縄アーカイブ研究所の真喜屋力さんが案内人として登壇しました。

本企画は1950年代から70年代にかけて、一般の人々が撮影した貴重な8ミリ映像を上映しながら、当時の沖縄の状況を解説し、現代の風景と比較して楽しむイベントで、今回で6回目を迎える人気イベントです。毎回テーマは設けず、沖縄県内各地の映像を紹介していくのですが、今回は那覇市が市政100年の節目の年に当たるということで「国際通り」を特集しました。

當間さんは最初のあいさつで「普段はここの4分の1くらいの大きさの会場だから、こちら側の気持ちが届くか心配」と話し、真喜屋さんは「映画スクリーンサイズで写すことはほとんどないので、ぜひ楽しんでいってほしい」と一言。そんな當間さんの不安を吹き飛ばすために、MCのオリオンリーグに加え、シネマラボ突貫小僧の代表、平良竜次さんが客席レポーターとして登場しました。

テーマが国際通りということで、会場内の半分ほどが国際通りや平和通り(国際通りに交わる通りのうちの1つ)の振興会員で埋まった客席を回り、「知っている場所が出てきたら教えてください!また、(當間さんと真喜屋さんの言っていることが)間違いだと思ったら指摘してください!」と、観客の皆様に協力を求めました。

最初は国際通りの説明からスタート。1934年、那覇市と首里市(現在は那覇市に統合)の交通のバイパスとしてコンクリートで舗装された「新県道」が国際通りの原形だったと紹介。戦後、周りに劇場が建ち始め、アーニーパイル国際劇場の人気にちなみ「国際通り」と名付けられたこと、国際通りと交わる「沖映通り」も沖映館という映画館があったことなど、当時の多くの通りが劇場にちなんで名づけられていったことが説明されます。また、1930年代の貴重な白黒写真が映され、戦後すぐに建てられた劇場は屋根なしだったことなどが明かされると、客席からは感嘆の声が上がっていました。

そして、1952~54年にかけて道をまっすぐにする工事が行われ、「国際通り」が正式名称になったのは1987年だったという驚きの事実も紹介。1950年より「国際通り団」「国際中央通り会」など、4つの振興会が形成されたと話し、真喜屋さんが「今も通り会は4つあるんですかね?」と問いかけると、客席からはすぐに「ありますよ!」と反応があり、「この4つをまとめるために『国際通り商店街振興組合連合会』という組織がある」との情報を教えてくださり、ステージ上のメンバーが感心する場面もありました。

ここまで説明して、やっとムービーの上映。すでに30分近く経過していたことにMCのオリオンリーグは「今から幕開けなんですか!!」と驚きますが、當間さんと真喜屋さんは「これはね、多くのムービーを見るのではなく、一つの画像をじっくり楽しむイベントです」とさらりと回答。動揺するMCをよそに国際通りの一部分を映したムービーが流れると、早速各席から「わかった!」の声が上がります。

現在は取り壊されてなくなっている、1970年代から那覇市の子供たちの星座観察を担った、屋上にプラネタリウムがあった久茂地公民館、今も国際通りに店舗を構える洋服店など、思い出深い建物や現存する建物が出るたびに、客席からは嬉しそうな声が上がります。さらにオリオンリーグの玉代勢も「あ!わかる!!ここ1階にそば屋が入っている建物!」などと、客席の言葉を代表しているかのようにノリノリで参加。国際通りの懐かし映像が呼び起こした思い出が、客席とステージを一体化させた素敵なイベントとなりました。

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